「わたしたちはまぎれもなく主役だったんですね…。」
結婚式の写真を納品して間もなく喜びに満ちた手紙が届いた。
ブライダルフォトに携わってから8年の月日が流れ、ようやく“信念”というものが見えてきたようである。そんな折に『フォトセラピー』という言葉を耳にすることがきっかけで、この“信念”がさらに深みを増すこととなった。
結婚式という日は人生の中でも、最も輝かしい時間を過ごす一日でもある。
そしてそんな一日を写真というカタチに残すことがブライダルスナップであり、時代と共にその在り方に変化が表れてきた。単に記録としての写真から、一歩進んだアートとも言える写真が提供され求められるようになってきたのである。
そこにはブライダル業界の“販売ツール”としての写真というものが当然あるのだが、現場での生の声を聞いているとそれ以上の価値がブライダルフォトには込められているのだと気づかされる。
新郎新婦のほとんどが写真を撮られることは非日常である。仮に一日一回友人や家族と写真を撮っていることがあったとしても…。ブライダルスナップの一例であるが、結婚式当日のヘアメイクから会場を後にするまでの約6時間、300カット以上もの写真を第三者としてのフォトグラファーが撮りまくるのである。この非日常をいかに感じさせないかがブライダルフォトグラファーに求められる資質のひとつではないだろうか。緊張している新郎新婦にいきなりレンズを向けたとしてもそのほとんどの場合、いい笑顔など引き出すことは不可能なのである。
非日常をいかにして日常としてその場の空気をつくることができるか。それは『対話』であり、撮影は打ち合わせの段階から始まるのである。単に、撮影の要望などを聞く場だけでなく撮影者と被写体である新郎新婦とのコミュニケーションこそがまさにファーストカットへと導く為の大切な時間となるのである。言葉を交わすことの他に、お互いの信頼関係をいかに築けるか。レンズと被写体との間にある壁をいかに打ち壊すことができるか。事前にお互いの顔を合わせ、言葉を交わし、“ひと”と“なり”を知ることで初めてそのひとの内面を観ることができるのである。この時間を過ごすことで、結婚式という一種特異な場である種の信頼関係が築けたならばたとえ緊張したなかであったとしても十分にその日の、その時の感情を素直にレンズへ、撮影者に向けてくれるであろう。
その壁が取り除かれた状態でのブライダルスナップはその日の空気そのものを写真という媒体に表すことができる。そこにはその日一日の不安、緊張、哀しみ、喜び、楽しみなど様々な感情がめまぐるしく展開しその日一日の思い出話やお料理、お酒、音楽など記憶の中の情景までもが表現されている。
「この写真で結婚式当日に戻ることができました…」
この言葉は結婚式の3ヶ月後にブライダル写真集を納品した際に新婦から頂いた言葉である。そこにはただ単に画としての像が描かれている写真が並んでいるだけなのだが、その新婦には結婚式の記憶の情景が確かに目の前に再現されていたのである。
結婚式には全く不思議な力が働くもので、打ち合わせの時とは比較にならないほど当日の新郎新婦は輝く。それは単に綺麗な衣装に身を包んでいるというだけではなく、一つ一つの細胞すべてが喜びに満ちているからなのであろう。後日仕上がってくる写真を見て「私ってこんな表情するんだ…」と嬉しそうに当日を振り返っている新郎新婦を見ると自分の考え方を信念とするに値するものを感じるのである。
写真には写っているものの姿形を明確に記録する性質があるが、それとは別の写っていないものを表現することができる。準備するまでの時間や、その時の感情、音や香りまでも…。一回目の結婚記念日やその後何回目かの結婚記念日にそういった写真集を開いてもらって、結婚式当日にその瞬間だけでも戻ることができたときに「わたしたちはまぎれもなく主役だったんだ…」と想ってもらえること。結婚当時の自分たちを、そしてその写真を見ている現在の自分たちを顧みたときに自分たちの出会いが、存在が純粋に“幸せ”であると想ってもらえることこそがブライダルフォトの在り方であり“ブライダルフォトはフォトセラピー”と称するに値する瞬間なのである。
(C) respiration-photograph / mizuki matsuyama